創業者STORY vol.01

  • 1月 31 2023
  • Ibuki SUEMITSU FERREIRA
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はじめまして、株式会社barca 代表取締役 末光 フェレイラ 伊芙季です。

「個の存在価値を最大化させる」をミッションに現在は在日外国人の方の生活サポート関連の事業を行っています。

なぜ日本人である私が’’在日外国人’’を対象としたビジネスを行っているのか。

いろいろなピッチコンテスト等にも出場させていただいており、ご覧になった方の中には一部聞いたことある情報があるかもしれませんが、そこでも話したことがない「わたし」や「わたしの考えること」についてここではお伝えしていきたいと思います。

   目次ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
    ■なぜカタカナの入った名前なのか
    ■海外のお名前事情
    ■海外に憧れを持ち続けていた幼少期
    ■初めての海外は意外にも大学生になってから
   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

■なぜ名前にカタカナが入っているのか

「はじめまして、末光 フェレイラ 伊芙季です。」
この名前を伝えると必ず聞かれるのは


BEPPU (1)
「ハーフですか?」

・・・というこの質問だ。



答えは「ノー。」



生まれも育ちも日本で両親に関しては愛媛県から出たことがないほどである。フェレイラという名字を持ったパラグアイ人の夫と国際結婚したためこの名を名乗っているのだ。

日本では男女別姓は認められていないが、国際結婚については例外なようで、私たち夫婦は書類上はそれぞれ「末光」「フェレイラ」と別々の名字で生活をしている。(とは言ってもカタカナの名前をみると「外国人かな?」「ダブルかな?」と未だに思っている・・・)


BEPPU

日本人の婚姻届と同じで「夫の氏」「妻の氏」と選ぶことができるため、「国際結婚らしくカタカナの名字に!」と意気揚々と婚姻届を出しに行ったのだが、ここで問題が。

ここで夫の氏を選ぶと「フェレイラ アルバレズ 伊芙季」というなんとも長ったらしい名前になってしまうのだ。

 

海外のお名前事情

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※例で夫の名前とは別の名前を使用しています。

夫の国では名字2つ、名前2つの4つのパーツで名前が成り立っていて、「フェレイラ アルバレズ」から「フェレイラ」だけを取って使うことはできないんだとか。「末光」の「末」だけを取って名乗ってるのと一緒だということだ。
そんなわけで前置きが長くなってしまったが、こんなわけでパラグアイ人の夫をもつ”末光 フェレイラ 伊芙季”が誕生した。

国によって名前の構成がいろいろ違うことを留学してから知った。
(恥ずかしながら日本人やアジア人は姓名、西洋人はみんな姓名+ミドルネームなんだと思っていたのだ・・・)
アメリカや英語圏の国の多くは名+ミドルネーム+姓、アラブ、アジア、アフリカには姓の無い国が多いそうだ。
スペインや南米の多くは名+ミドルネーム+父の姓+母の姓の4つのパーツで構成されていることが多い。

ちなみに日本でも皇族は姓がないらしい!!宮家の当主が有する「○○宮」の称号は、宮家の当主個人の称号(宮号)とされていて、姓には当たらないんだとか。(確かに言われてみればニュースなどでみる皇室に嫁がれた皇后は姓がなくなった、ということなのか)

 

日本では多くの方が「夫の氏」を選択されることが多いのではないだろうか。私自身、名字が変わることに憧れを持っている時期もあった。でも実際に混合性にして、感じたことは


「名前が変わることでの手続き多すぎ!(氏変更)しなくてよかった!」


ということ。新しい氏の印鑑を作って、住民登録、印鑑証明、複数の銀行口座、運転免許書、看護師免許、車の名義変更などなど。
実際に名字を変えられた方、「変わりました」と通知をくれる友人たち、すべての氏変更をした方々に拍手!!!!

ちなみに私たち夫婦には3歳の娘がいる。
娘は日本語・英語・スペイン語の3ヶ国語を話すトリリンガル。(2歳にてすでに私のスペイン語レベルを超越している・・・)
住民登録上では私のもともとの名字を使用しているため、名簿でみたときにはこのバックグラウンドは伝わらない。
でも見た目が少し違ったり、話している言葉が違ったり、(日本語の)言葉の発達が遅かったり。
ハーフ・ミックス・ダブル・・・いろいろな呼び方をされるインターナショナルキッズとしての悩みがこれからいろいろ出てくるんだろうな、と親としての心の準備をしている最中である。

 

海外に憧れを持ち続けていた幼少期

普段夫とは英語でコミュニケーションをとっていたり、ピッチの最初には「Good afternoon everyone, how's going?」なんて言っているので海外に住んでいたり、インターナショナルスクールに通っていた、なんて聞かれることもあるが、



これまた答えは「ノー」。



田舎育ちのわたしには海外というものははるか遠くの手の届かない場所にあるものだと刷り込まれていた。
家の隣には日本語の話せるALT(Assistan Language Teacher)のアメリカ人が住んでいたこともあり、外国に興味をもったのはこの頃からだ。夏休み前に学校から配られる「姉妹都市への短期留学」や「海外からの短期留学生のホストファミリー」など「留学」というワードを見るたびに未知の世界にワクワクしていた。

BEPPU (2)

でも、いつも親から返ってくる答えは「ノー」。

「お金ないから無理」この言葉を何度聞いたことか。お金を出すことにシビアだったり、ケチだったり、「お金」に対してのコンプレックスはこのころから持っているのだと思う。

自分自身が親となった今だから感じることは「感謝」。
きっとこの「ノー」の裏側には自分の知らない土地に行くことへの不安や心配、未知の土地での未知の生活などなど・・・お金の問題だけでない、たくさんの親としての葛藤があったんだと思う。
実際、田舎から海外へ行くことは都市部の人たちに比べ国内移動分のお金もかかる。
「かわいい子には旅をさせよ」とは言うが、実際にこどもが自分の目の届かないところに行ってしまうのは短期間であれ不安だ。
一方で、私が自分で事業をやっている背景のひとつには「こどもにとって移動の制限がなく、自由な選択をさせてあげられる親になりたい」そんな気持ちもある、なんともワガママな親心の持ち主かもしれない。

 

初めての海外は大学時代

そんなわけで、大学で親元を離れるまで日本を出たことがなかった。
大学時代はバイト代を生活費にあてていたため突然羽を伸ばして「海外旅行」なんてできなかったので、大学の提携校の交換留学制度を口実に初めての海外を経験した。そう。大学2年生の頃にようやく海外にいくという夢が叶った。


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空港の免税店がサイコー!!
飛行機が広い!!


19歳にて初めて手にしたブルーのパスポートを手に、飛行機を2度乗り継いで訪れたのはタイ・チェンマイだった。

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そして大学2年生の夏、ここから初めての海外で1ヶ月の交換留学生活が始まった。
タイといっても国内では有数の優秀な大学だったようで、タイ語でのクラスと英語でのクラスが分かれていて、わたしたち留学生は英語クラスに入って授業を受けた。


このとき始めた感じたのは「日本ってやばいんじゃないか、、、?」という疑念だ。


国外に出たことのなかった19歳のわたしが持つ「タイ」という国のイメージは、まだまだ発展途上国だということ。
そんなある意味「貧しい」と思いこんでいた国の大学に通うタイ人の子たちは英語での授業を当たり前のように受けて、私たち”外国人”にも英語で話しかけてくるのだ。
もちろんマーケットや1本裏の路地にいけばボロボロの靴やスリッパを履いている人たち、服にも穴が空いていたり、ちょっと歩くのが怖いと感じるような場所もあった。
そんな貧富の差がある国だが、そこで感じた勢い、富裕層の富は確実に日本とは違う何かを感じたのだ。


そんなカルチャーショックなのか、自分を井の中の蛙と知ったのか、たくさんの刺激を受けた交換留学は1ヶ月であっという間に終了した。留学前のわたしの英語は中学英語レベル。TOEIC550程度だったので、残念ながら1ヶ月という期間は英語を伸ばすには不十分だが、「海外生活」という初めての経験を積むには十分な時間を過ごした。
(当時日本ではようやくiPhone4が販売されていた頃で、まだまだスマートフォンやwi-fi、SNSというものが今ほど普及していなかったため、寮で洗濯機を使うのすら四苦八苦したのはいい思い出!)



こうやって英語でコミュニケーションをとることが意外と難しくないと学んだ1つの転機となった大学時代のチェンマイ留学でした^^








株式会社barcaでは月2回、このように創業者やメンバー、異文化理解や外国人にまつわるエピソードを更新しています。





株式会社barca 
代表取締役 末光フェレイラ伊芙季




Thank you for reading my  blog, see you soon!

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