はじめまして、株式会社barca 代表取締役 末光 フェレイラ 伊芙季です。
「個の存在価値を最大化させる」をミッションに現在は在日外国人の方の生活サポート関連の事業を行っています。
なぜ日本人である私が’’在日外国人’’を対象としたビジネスを行っているのか。
いろいろなピッチコンテスト等にも出場させていただいており、ご覧になった方の中には一部聞いたことある情報があるかもしれませんが、そこでも話したことがない「わたし」や「わたしの考えること」についてここではお伝えしていきたいと思います。
目次ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
■お受験英語から生きた英語に変わった留学
■看護師新人時代に抱いた目標
■発展途上国ボランティアでの2つの気付き
■英語学習は日常に取り込むのが最短距離
■日本をもっと良くしたい!改めて感じた日本の課題
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■お受験英語から生きた英語に変わった留学
受験英語だけをやってきた私は、大学時代のタイへの留学をきっかけに「英語」をつかってコミュニケーションがとれる!ということを楽しめるようになった。
私たちの世代は小学生のときにALT(Assistant Language Teacher)が年に数回来てくれて初めて本当の外国人とコミュニケーションをとる!という経験をした人も多くいるのではないだろうか。そこから中学・高校と1週間のなかでも3−5コマ程度の英語の授業が始まり、読み書きを行ういわゆる「受験英語」の学習が始まった。どんな子どもでも教育を受ける機会があり、母国語の識字率が世界的にみてとても高いのは日本の誇りに感じる点だ。
一方で「お受験文化」があるように、「将来どんな人生を歩みたいか」ではなくて「いい学校・いい企業に入るための学習」がメインになってしまっているのは本末転倒に感じている。
せっかく定期的に英語の授業があるにも関わらず、その機会を活かしきれなかったり、読み書きはできるけど「話す」というコミュニケーションにおいて1番不可欠なスキルが磨けないことは改善の余地がある点かもしれない。
センター試験における英語で平均的な点数、リスニングは大の苦手だった私は、「英語を話す」ということにめっぽう自信がなかった。しかし、おもしろいことに人間はその環境に行けばどうにかなるものらしい。
実際、チェンマイに行った最初の1週間は一緒に留学していた友人が英語が話せることに甘えて、自分からわざわざ自信のない英語でコミュニケーションを取りに行くことはほとんどなかった。
しかし!留学から1週間後、、、その友人が高熱を出して自分がコミュニケーションをとらないといけなくなったのだ。そこから2週間は慣れないながらにもわかる単語を使って、そして相手の言っていることは半分もわからない(!)そんな状態で約1ヶ月のタイ・チェンマイ留学を終えた。
私の場合たまたま「海外留学」というチャンスが有り、その中で英語を話さなければならないという環境を手にすることができた。でも語学を育てるのは環境だと思っている。実際に一緒に留学に行った友人が病気をしなければ私は今でも話せないかもしれないし、逆にこのとき留学に行ってなくても、海外の生活や文化に興味があったのでそれを突き詰めていったら国内にいても語学の上達ができたのかもしれない。いずれにせよ語学上達の近道は、環境と関心だと思っている。
■看護師新人時代に抱いた目標
大学は医学部看護学科に行っていたため、なんの迷いもなく「看護師」になった1年目。
PICU(小児循環器科集中治療室)とNICU(新生児集中治療室)が混合になっている赤ちゃんの集中治療室で働いていた私は、これまでの経験や他の国の文化や人、生活を知ることがおもしろい!という理由から「青年海外協力隊(JICA)で発展途上国の医療に関わる仕事をしたい」と目標を抱くようになる。
当時まだまだネットワークも持っていなかった私は、自分なりに海外で看護師として働くための選択肢を探していた。
・JICA
・ジャパンハート
・国境なき医師団
・看護留学
このあたりは期間と方法について一通り調べていたと思う。
しかしどの選択肢においても「臨床経験3年」という記載があった。また、当時は看護師として転職(といっても同じく看護師として違う病院で働くことの意)するためには最低3年働いていないと難しい、という話もよく聞いていた。それらの情報から、ひとまずは石の上にも3年。そこまでにできるとこまでやってみよう、そう考えるようになる。
■海外で働いた後の進路への疑問を抱く
看護師1年目は毎日が新しいことの積み重ねで、とても新鮮だった。病棟で直接関わる患者さんは1歳未満の乳幼児とそのご家族で、これまで新生児なんてなかなか関わることのなかった私にとって、毎日が学びだった。そして患者さんや患者さん家族に関わることがとても楽しいと感じていた。
看護師として働きながら、1週間程度取得できる夏休みには、毎年海外に行っていた。1年目に行ったのはカンボジアのスタディツアー+ボランティア。ここでは2つの大きな気づきがあった。
1つ目は、「発展途上国でいわゆる”貧しい”状況だからといって不幸なわけではない」ということ。遊ぶためのおもちゃやゲームといった道具だけでなく、公園やテーマパークといった場所さえも限られている、、、というよりも無に等しい。でもそこで暮らす子どもたちは、その場にある石や枝、使い古されているボールやキッチン用品を道具に、自然の中でキラキラとした笑顔を持って遊んでいるのだ。そしてそこで気付いたのは、今の日本は物質的には恵まれているかもしれないが、「今あるもので工夫をして生活する」ということを忘れてしまっているということ。
2つ目は、「JICAなどで発展途上国に行っても自分にできることなんて限られている」ということ。医療先進国である日本で最先端の集中治療室で働いていた私。機械の扱い方や管理方法は学んでいたけど、なにも機械がないところで生身の人間だけといった状況で、自分が提供できるケアは何なんだろう。それを身につけるためにはどうしたらいいんだろう。それを身に着けたら何ができるんだろう。。。いろいろ考えたが所詮わたしという人間1人で起こせるインパクトには限りがある。それに気付かされたスタディツアーになった。
看護師1年目の夏休みに行ったカンボジアでのスタディツアー。現地の小学校でボランティアスタッフをした。
カンボジアのコンビニのようなところ。小学生くらいの子どもが店先に立っているのが当たり前の光景だった。
■英語学習は日常に取り込むのが最短距離!
看護師2年目のタイミングで、親しくしていた人がたまたま直近まで海外(英語圏)に住んでいた人だったため「LINEは英語で」というルールを自分に課し、半ば強制的に英語勉強を始めてみた。
それが日常に英語を取り込むのは語学学習において最短距離だった!!
自分が今していること、これからすること、お願いしたいこと、、、全てを英語で説明しないといけないのだ。相手には、Google翻訳をフル活用し、あっているのかあっていないのかを判断することもなく翻訳されたままの文章を送りつけていた。
不思議なもので、とりあえずそうやって会話していると、相手の言っていることを理解するために新たな語彙や言い回しを知ることができたり、Google翻訳の変な訳にも気づいて修正することができるようになっていった。
こうやって私の異文化交流や語学学習のベースが作られていった。
■日本をもっと良くしたい!改めて感じた日本の課題
英語の勉強はのんびりと継続していたが、積極的なアウトプットにはまだまだほど遠い。
そう感じているときに、働いている病棟に外国人の患者さんが入院してきた。初めての外国人患者さんはブラジル人。
両親ともにブラジルの方で、日本語のコミュニケーションどころか英語でのコミュニケーションもできない。
私の働いていた病棟は重症患者さんが多く入院期間が短くても1ヶ月、長いと3ヶ月以上と、とても長い時間をすごすことが多い。
新生児の患者さんは産まれてすぐに入院することがほとんどなので、もちろんご家族も不安だらけ。
そんな状況で、通常なら家族の不安に寄り添って、今されていること、これから起こること、退院の目処や、退院後の生活などいろいろなことを話す。
しかし言葉でコミュニケーションが取れないから、そのケアが一切できなかったのだ。何度か自治体からポルトガル語通訳者を派遣してもらって説明をしていただいたが、言語のできる人が常にいたり、何かしらのツールを使って日常のコミュニケーションのサポートがあればどれだけ患者さんにとっての救いになっただろう、、、未だにその現場を鮮明に覚えている。その後も、カナダや中国など、いろいろな国の患者さんと関わる中で、「日本という世界でも有数の医療水準をもつ国で、本来受けられる恩恵が受けられないのはおかしい」そう思うようになる。
これが私が「現場目線」で感じた今のサービスに繋がる原点である。
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株式会社barcaでは月2回、このように創業者やメンバー、異文化理解や外国人にまつわるエピソードを更新しています。
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代表取締役 末光フェレイラ伊芙季
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